こちらの公式ブログのタイトルではありません

テーマ別に開設している3つのブログのひとつ
2009年4月開設の「キャリアコンサルタント養成講座」です

10年ぶりにリニューアルしたタイトルは下記のとおりです

ゴハンが美味しくなる働き方
~役職定年期を乗り越えるためのスピリチュアルケア × キャリア支援~

オリンピックの2020年に、バブル世代が50~55歳になります

この世代はもとより、その後にひかえている団塊ジュニア世代や
さらに若い世代へ、ささやかなエールを贈りたいのです

エールとは、おカネからもポジションからも得られない
「魂が喜ぶ働き方」があることを伝えることです

ブログのタイトルを変えたのは、その決意の証しです

ソウルワーク(魂が喜ぶ仕事)に就いて働く時
私たちは働く幸せ、生きる幸せを実現できます

これからは、これまでに親しんできたキャリアの理論やメソッドや
先達の事例をソウルワークに出逢うためのカギとして紹介します

それぞれがソウルワークに出逢えるよう
サポートすることが、私のソウルワークでありますように

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たくさんの出逢いに恵まれ、たくさんの物語を聴いた
「復興する図書館を視察するバススタディツアー」。

書店さんも学校も図書館も、無かったことにしていけない
景色や暮らしや歴史を継ごうとされてます。

釜石鵜住居復興スタジアムも訪ねたし、
三陸鉄道の震災学習列車にも乗ったし、
ジャージいち枚で高台に逃げて夜を過ごした元中学生の涙に打たれたし、
崖っぷち女将の必死の踊りに切なくなったし、
遺族の皆さんと酌み交わしもしたけれど、
語り継ぐにはまだまだ言葉が見つからない。。

日本出版クラブさん、<大震災>出版対策本部さん、釜石の桑畑書店さん、宝来館さん、復興スタジアムさん、鵜住居小学校さん、三陸鉄道さん、陸前高田の市立図書館さん、山十・伊東文具店さん、県立高田高校さん、中尊寺さん、薫風農園さん、たくさんの学びをありがとうございました。

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折しも、母の90歳の誕生日の夜、
舞妓さんから芸妓さんへの襟替え前にのみ踊られる
「黒髪」を拝見しました。

京都通の友人のお座敷にお招きいただき、
お相伴する機会を授かったのです。

サープライズで上七軒の中里さんへ連れていくと、
敷居もまたがずに「ここで帰る」と立ちすくむ母。

友人たちが手伝ってくれて、やっとやっとや~っと、
二階のお座敷へ。

そんな母も、尚絹さんの黒髪の踊りに緊張を洗われたのか、
くつろいだ表情になりました。

「冥途の土産にお座敷にあがれた」と、
帰宅してからも大喜びが続いています。

尚絹さんの踊りは可憐で、
尚ひろおねえさんの唄と三味線は見事でした。

花簪をあどけなく揺らしながら、
甲斐甲斐しくもてなしてくれた新人舞妓の尚舞ちゃんも
やがて、おねえさん舞妓さんになって、
黒髪を踊る日がくるのですね。

三年後? 五年後?

まだまだ元気でいてくれるはずの母と一緒に、
ぜひ見せていただきたいな!

お母さん、あなたがいるから、私は強く生きます。
そして、私がいるから、あなたは安らかに生きてください。

 

人は働くことをとおして、幸せになれます。

がんに罹患しても治療を続けながら、
あるいは治療後に復職して働くことは生きる力につながります。

昨秋、主宰するNPOに「がん両立支援研究会」を立ち上げました。
がん治療と仕事の両立をめざす職場の輪を広げるためです。

その想いを四日市ロータリーさまでお話しさせていただきました。

ある社長さまが閉会後に打ち明けてくださったのは、
最期まで復職を希望し、治療に挑んだ社員さまを待ち続けたエピソード。

こんなお話しをもっともっと聴けるよう、
もっともっと想いをお伝えしたい!

機会を授けてくださった九鬼会長、ありがとうございました!
なお、研究会の活動については、NPOのFBページでもご報告します。

https://www.facebook.com/cdf.tfj/

悠木 そのま on 3月 11th, 2019

あの災禍から8年が過ぎ、まもなく線路がつながる。

線路がつなぐ町々には、愛する友たちが居る。
彼らは物語を語り、私たちは物語を聴く。

そして、物語の中で生きる命と出逢う。

語り部たちが語り継ぐ命があるかぎり、
私たちは聴き部になる。

聴き継いだ物語がやがて伝説になる頃、
私たち聴き部もきっと語り部になれるでしょう。合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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間の魔法。

嬉しいことばの種まきをされている村上信夫さんをお招きして
3/2㈯、「村上信夫さんに学ぶことば磨き」名古屋塾を開催しました。
主催:NPO法人キャリアデザインフォーラム

ことばの師匠として敬愛する村上さんは、元NHKエグゼクティブアナウンサー。

バブル期にウィークエンド中部のキャスターを担当され、
名古屋放送局の顏でいらっしゃいましたね。

キャリアコンサルタントも多々参集した名古屋塾では、
「間」のエピソードからのスタート。

沈黙といえば怖いけど、「間」といえば温かい!

「間」の魔法にかかった参加者たちの気づきの声の深さ、
村上師匠のブログからぜひご欄くださいませ~!

PS.朗読のお師匠もお願いしたくなりました

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「語り部」の郷から始まった縁

今にして思えば2011年、東北被災地とのご縁は、農業共済組合長さんたちの対談のコメンテーターとして、「語り部」で知られる遠野市をお訪ねした時につながっていました。ご高齢の皆さんのお国言葉が全く分からず(笑)、お役目を果たせなかったのも懐かしい想い出です。

対談でご一緒し、お国言葉を通訳(?)してくださった稲作研究の大学教授が「この山を越えると陸前高田の町があるんだよ」「そこへちょくちょく、麹を買いに行くんだ」「陸前高田は文化的でジャズ喫茶もある」と語ってくださり、「陸前高田をいずれお訪ねしたいです」と応じたのが、2月11日でした。

そうです。そのわずか1か月後に、あの災禍が三陸の町々を襲ったのです。

遠野での座談会には陸前高田の組合長さんもお越しになっていて、その方がご無事だったと聞かされた時にはほっとしつつ、三陸の組合長さんや組合員さんにも亡くなった方が多々いると伺い、手放しでは喜べませんでした。

「ふっくら布ぞうり」に誘われた陸前高田

あれから、8年。陸前高田はもとより三陸の海岸沿いには防潮堤が築かれ、町の景色は様変わりしています。それぞれの町の暮らしも変わらざるを得ないのでしょうが、「震災前と同じように暮らす」と踏んばっているヒーローたちもいます。

ヒーローの真ん中にいるのが、 ドキュメンタリー映画「先祖になる」の主人公 佐藤直志さん。直志さんは「家が流されたら、また建てればいい。大昔から人はそうやってここで生きてきた」という言葉どおり、ご自身で伐った木を宮大工として知られる気仙大工に託し、家を建て直した木こりさんです。直志さんとは、ふっくら布ぞうりの荒木そうこさんとのご縁で出逢えました。

現在 85歳にして現役で、大型コンバインに乗って米を作る直志さん、これを支える菅野剛さん、家や家族を流された方々が編む「ふっくら布ぞうり」の編み手の皆さん。皆さんには、2015年の初訪問から4回、お目にかかっています。その度に、元気と勇気をいただいているのは私たちなのに、直志さんはおっしゃるのです。「これで、また頑張れる」と。。

ブルーローズが奇跡を招いた山田町

被災地と呼ばれる町を訪ねるようになったのは、2012年。被災地のために何かさせていただきたいと、とにかく立ち上げた「3.11復興協働アクトチーム 一緒にがんばろ~ず!」で、「ブルーローズ・キャンペーン」のお手伝いを始めたところ、ご縁を授かりました。

ブルーローズキャンペーンは、青いバラのピンバッチをチャリティ販売し、その収益金をあしなが育英会に寄付して、津波遺児の自立に役立てていただく活動です。栽培ができないと言われた青いバラの花言葉はかつて「不可能」でしたが、栽培ができるようになってからは「奇跡」「夢かなう」に。

「一緒にがんばろ~ず!」としてブルーローズキャンペーンをお手伝いを始めてまもなく、名古屋で開催された震災勉強会で、被災地の住職と出逢いました。住職さんのお寺、龍泉寺さんは岩手県山田町織笠にあるとのこと。

これを聞いた時には、息がとまりそうでした。なぜならば、ブルーローズは震災1か月後にシャツとともに、ある学校に送られていました。その学校が山田中学校なのです! なんという奇跡! この奇跡は必然であり、ブルーローズが招いてくれたご縁に違いありません。

人の流れで道を造るために

そして、2013年。山田町から住職と住職の友人である消防団員さんを名古屋へ招き、あの日の体験を語ってもらえることになりました。団員さんはあの日あの時を語り、泣き、最後に言いました。

「人の流れが道を造る」

ならば、人の流れを造ろう! ひとりでは流れを造れないから、仲間とともに流れになり、道を造ろう!

2015年11月、あのリッツ・カールトンの元日本支社長 高野登さんが塾長を務める百年塾のひとつとして「復幸キャラバン百年塾」は発足。12月23日、私たちのバスは一ノ関駅を出発しました。陸前高田を経て、山田町へ。24日のクリスマスイブには、小学生たちと交流し、帰路には大槌町で大槌刺し子の皆さんと語り合いました。

「無かったこと」にしてはいけない爪痕

翌2016年からは、2泊3日のキャラバンに。この時は仙台から閖上に向かい、「閖上の記憶」の語り部さんの悲しい物語も聴きました。2017年には塩釜にも立寄り、塩竃神社のご加護をいただき…。

前年にも尋ねた南三陸のホテル観洋「語り部」さんを復幸キャラバンのバスにお乗せし、戸倉小学校、戸倉中学校、旧高野会館遺構へ。途中、嵩上げの道路となりつつある道端にバスを停めるように、と語り部さん。そこにはかつて小学校がありましたが、津波に洗われた校舎は撤去されたそうです。

防潮堤が築かれ、道路が嵩上げされ、そのために遺構が取り壊され…。この酷い事実が「無かったことになっていく」「無かったことにしていいのか!」 と、語り部さんの言葉がバスの車中にこだましました。「無かったこと」にしてはいけない爪痕が、ここには確かにあるのです。それなのに、年毎に爪痕は埋められていきます。

旅の終わりを南三陸町で

こうして、被災地と呼ばれる町々をキャラバンしながら、私たちはこの町々から何を学べばいいのだろう、この営みにはどんな意味があるのだろう、と自問自答し続けた足掛け5年。

4度目となる2018年度キャラバンは、年明け2019年2月に旅立つことになりました。というのも、2/24~25日、南三陸のホテル観洋さんが「語り部フォーラム」を開催するという一報が飛び込んだからです。この日に合わせて、旅程を組もう!  そして、実現した旅程は下記のとおりです。

2/22㈮、盛岡で集合し、宮古へ。刈屋建設さんによる復旧工事現場を見学し、山田町に入りました。陸中山田駅では、三陸鉄道の試運転列車に「いい日旅立ち」を歌いながら手をふった後、山田町の心友たちとはてしなく続く懇親会!

2/23㈯、この日も試運転列車に合わせて出発。ひょっこりひょうたん島からデザインされた大槌駅で再び、歌いながら列車に手を振り、釜石駅へ。三陸鉄道南リアス線からは、しばし列車の旅。終着の盛駅で先廻りしていたバスに乗り換えて、陸前高田へ向かい、85歳で木を伐り続ける直志さんたちとのランチの後、南三陸のホテル観洋さんをめざします。

見えない景色を心の眼で見る

南三陸に到着早々、旧高野会館遺構へご案内いただきました。昨年に続いて、2回目。屋上からは延々と続く防潮堤や10メートルも嵩上げされた復旧道路が一望できます。日々、変貌する景色の向こうに、埋もれゆく酷い景色を想い、海へ流された美しい景色を慈しむもの悲しさ。心の眼を大きく見開いて、復旧の影と光を直視した時間でした。

2/24㈰、日の出6:15のプラカードに誘われ、露天風呂から南三陸の見事なご来光を拝むことができました。昨年は、雲に隠されていたお日さま。午後から開催される「語り部フォーラム」の盛会を占うような明るさでした。復幸キャラバンの私たちも助っ人として、開会前の設営や受付をお手伝い。申し込み300人のところ、蓋を開けてみれば400人! 東北被災地の語り部さんと「語り」への関心と想いが窺われました。

フォーラムでは、被災を語り続ける「語り部」さんたちのお話しを聴きながら、キャリアカウンセラーとしてナラティブ(語り)のパワーをあれこれを実感いたしました。これについては、改めて…。

「聴き部」「聴く部ぇ」に成る決意

この旅の終わりにやっと気づいたのは、災禍を被った「語り部」さんの語りに耳を傾ける「聴き部」「聴く部ぇ」にならば成れそうなこと。災禍を被った皆さんが探し築かれている小さな光をご一緒に観るのならば続けられそうなこと。 被災地と呼ばれる町々の小さな幸せをともに喜ぶ「観幸」の旅を続けたいということ。

「復幸キャラバン百年塾」としての旅は、本年度をもって、ひと区切りとさせていただきます。が、災害のあった町々に暮らすお友だちの皆さん、これからお友だちになるかもしれない皆さん、これまでにキャラバンにご一緒してくださった皆さん、これからもよろしくお願いいたします。新しい形できっと再訪させていただきます。それまで、私たちを待っていてくださいますか。

復興から復幸へ! 復幸から観幸へ!

私たちは、トラックが運んだ土とコンクリートに埋まっているあの景色を忘れません。そして、見たことがあってもなくても、瞳をそっと閉じて、海へと去っていった景色を慈しみ続けます。私たちは一緒にがんばろ~ず! 私たちはずっと、被災地と一緒にいます!

日本のどこかに、私たちを待っている人がいる! それが、私たちの元気と勇気の素であり、私たちの誇りです!  ですから、被災地と呼ばれる地域に生きて暮らされている皆さまが小さな光を探し築き続けられるかぎり、必ずや、その光を「観光」するために伺います。

皆さんとともに小さな光を観て喜ぶ幸せを、私たちは「観幸」と呼びます。 遠野の「語り部」ではじまり、南三陸の「語り部フォーラム」で息継ぎをして、「聴き部」「聴く部ぇ」として続く旅。また逢う日まで、ますますお元気で!

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昭和の終わりには「やりたいこと症候群」が流行り、平成の終わりは「やりたいことが分からない症候群」が流行っています。

やりたいことなど、人並みはずれた興味やエッジのきいたスキルをもつ人を除けば、そうそう分からないし、分かったつもりでも勘違いかもしれない。

仕事とは、事に仕えること。授かった仕事に一所懸命仕えていれば、その仕事を好きになって得意になって、やがて、その仕事をとおして誰かの役に立っているようにも思えるようになって、そうしたら、それは天職といえるのかもしれない。

昨年末に野菜かごの中で芽を出したごぼうと雑煮大根は、今朝も空を仰いでいます。それぞれの天職を知っているのは、宇宙だけ。

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悠木 そのま on 1月 14th, 2019

おそらく1991年のお正月早々でした。

経営者向けの新春講演会に参加した父が、興奮ぎみに帰宅しました。こうした講演会は経済の話しばかりでつまらない。本日の先生のようなお話しをもっと聞きたいと言うのです。

その先生こそ、当時、国際日本文化研究センター所長でいらっしゃった梅原猛先生でした。無粋と思っていた父の感受性に驚きつつ心晴れた新春、その秋に父は亡くなりました。

亡父の思い出伴う梅原猛先生が旅立たれ、とてもとても寂しく、もったいない想いでいます。大往生を急がれず、日本の経済人はもとより消費社会に生きる私たち日本人に一般教養としての梅原日本学をまだまだ伝えていただきたかった…。

一方で、先生のご逝去が改元の年であることに運命を感じます。ご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。合掌。

 

日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)

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明けましておめでとうございます!

ふと目覚めて、寝室のカーテンを開くと、かなたの空に紅色のグラデーション! しばし佇めば、真正面にぐんぐんと陽が昇り、それはそれはまぶしく力強く、額がほかほかと温かくなっていく不思議な感覚を味わいました。

この家に越してきて、足掛け20年。宇宙が授けてくれる元旦の僥倖にやっと気づけました。宙に昇った太陽はいつになくまぶしく、直視できないほど。

新しい時代を祝福しているようでした。平成最後の元旦に‥と取り寄せたり、頂いたりした美酒と海の幸は、平成を乗り越えた自分へのご褒美。野菜かごの中でいつのまにか発芽していた牛蒡の若葉を飾って、新年を寿ぎました。

今日の奉仕が明日の恵みにつながるよう、1日、1日に感謝して精進を続けます。本年もよろしくお願いいたします。

2019年元日

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